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できれば月記

徒然なるままに垂れ流します。

   

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きっと、温かなものに触れられずに生きてきた

2007/2/10にアップ。


 救いの手が伸べられぬまま荒廃した街。
 住人は皆、自分の事で手一杯で、周りを気にかける余裕など無い。
 生きるために逃げ込んだはずのこの場所で、彼女は常に死と隣り合っていた。
 見捨てられたこの街に法など無いに等しく、死を恐怖して響く悲鳴が絶える日は無い。

(――それでも、外よりは)

 どれだけ平穏な日々であることか。
 少なくとも、追手がこの街に入ることは無い。
 彼女以外の要因によって、貴重な駒を無駄にする可能性が高いからだ。

 血に飢えた者、女に飢えた者が襲い掛かるのを返り討っていくうちに、やがて彼女は"手を出してはいけない者"として認識されるようになる。
 そして、一年半程経った頃、彼女は彼と出逢った。


 この街に来たばかりなのだろう。
 彼女を知らない若者が数人、下卑た笑いで近付くのを悲鳴を上げる間も許さず斬り伏せた、その血の臭いが、むせ返りそうなほど籠った部屋だった。
 おそらく、僅かに発した殺気に引かれて来たのだろう。
 軋む鉄扉を押し開き、硬質な靴音を鳴らして現れる姿が、張り詰めた空気を揺らす。
 全身を黒で覆う皮のロングコートにも、白い肌にも、鮮やかに赤い返り血が散り、手にした抜き身の太刀が月光をはじく。
 その美しさに、彼女は自分の内側で"何か"が音を立てて動き出すのを感じ、気付けば、今までに一度も使われたことが無かった本名を、名乗っていた。


 何合か打ち合い、左肩を浅く斬られてその場を引いた彼女は、傷が癒えると彼を探し始めた。
 彼は名前を言わなかった。
 けれど、あれだけの強さ。
 容姿の特徴と太刀を振るうことを言えば、噂話には事欠かなかった。
 しかし、彼の名を聞くことは無い。
 彼は、誰とも馴れ合わないのだ。
 住処は分からず、現れる場所も定まっておらず、直ぐに目新しい情報は無くなる。
 さしたる手がかりも無く、ひたすら探すしかない。
 幸いなことに、彼女は勘が良かった。
 望まずに与えられたこの"力"を、これほど有り難く思ったことは無かっただろう。

 探し始めて数日。
 それは、珍しく雲が晴れて青空が覗いた日だった。
 紅く影を落とす夕陽に照らされた路地に、彼が居た。
 未だ血を流す、人間だったものを足下に、刀についた紅い雫を払う。
 口元に薄い嘲笑。
 とうに気配に気付いていたのだろう、音も立てずに納刀すると、ゆっくりと振り返る。

 殺気は無い。
 そう、先刻も。

 彼女が路地を曲がり彼の姿を認める直前に、今、彼の足下に転がるモノが倒れる音がしたのに、殺気は全く感じられなかった。
 彼は、まるで、道端の草を刈るように、人間を狩る。

 この人は、とても強く、そして、だからこそ、とても脆い人だ。
 きっと冷たい世界の中で、温かなものに触れられずに生きてきた。
 その哀しさにすら気付かずに。

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