徒然なるままに垂れ流します。
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「ああ、もう、五月蝿いなぁ」
夜魔を統べる有翼人種の、その頂点に立つ男の二番目の息子である英理は、誰も居ない空間に向かって苛々と言葉を放った。
山間を渡る風に吹かれて大きくしなり、互いにぶつかり合って不協和音を奏でる竹林の中を、足早に通り抜けていく。
その足下には、道など無い。
この地は幾重も張り巡らされた結界に護られた禁域で、本来ならば人はおろか獣ですら足を踏み入れることのできない場所なのだ。
降り積もった落ち葉を蹴散らし、ぼこぼこと地面に浮かぶ根を踏み付けて、英理は歩を進める。
もう少し行けば竹林が途切れ、金色の野原に傲然と聳え立つ朱塗りの門が見えるはずだ。
何時からそこに有るのか誰も知らないその門に扉は無く、常に開かれたその向こう側に見えるのは変わらぬ金色の野原。
けれど、一度潜れば、その先は決して戻れない隔てられた世界だと言う。
「――本当に、五月蝿い」
知っている。
これは"喚び声"だ。
もう何日も、ずっと叫び続けている。
届くのは声だけで、誰かを、何かを、連れて行けるだけの力は無い。
どこか遠くで、すぐ耳元で、途絶えがちにずっと続いている。
二桁に上る兄弟姉妹の、誰一人として何も聞こえないと言う。
こんなにもガンガンと響くこの声が己だけに聞こえると言うのなら。
ならばきっと、自分はどこかおかしいのだろう。
ぱったりと、まるで全く別の場所を切り取ってきて繋いだかのように唐突に、竹林が途切れた。
視界の確保すら困難だった暗闇から、一転、静かに降る月光が辺りを照らす。
変わらず吹き荒れる強風に、ゆるくまとめただけの長い髪を弄られながら、腰まである黄金の草を掻き分けて行く。
英理は遠く眼前に朱塗りの巨大な門を認める。
扉は無く、朱塗りの柱に紅で記された呪言、掲げられた額に銘は無い。
古い文献で読んだままのその姿に安堵の息をもらした。
轟々と音を立てる風の奥に、また、あの声が聞こえる。
お願い、誰か、そう悲痛な声で。
「誰かって、言ってもさ」
その程度の力じゃ誰も喚べないんだよ。
そう独り言ちる英理が柱に触れると、その指先との接点から呪言が黒く染まっていく。
やがて全ての文字の色が変わる頃、門の向こう側の世界は一変していた。
暗い夜空に星は少なく、大気は澱んで停滞している。
同じような方形の建物がひしめき合って建ち並び、灯された眩しい明かりがキラキラと瞬いている。
おねがい、おねがい、だれか。
だれか、そばにいて。
ひとりにしないで。
だれか、おねがい。
(五月蝿いなぁ、本当に)
心中に浮かべる愚痴とは裏腹に小さく笑みをこぼして、英理は門の向こう側へと足を踏み出す。
覚悟していた衝撃も、違和感も何も無かった。
一拍の暗転の後、実感だけが襲ってくる。
今まで生きてきた場所とは、何もかもが違う世界なのだと。
* * * * *
足下にうずくまる少女が居た。
まだ幼い、十にも満たない子どもだ。
あちこち土に汚れ、手や膝はすりむいて血が滲んでいる。
憔悴しきった顔でぼろぼろと泣き、突然現れた英理を呆然と見上げていた。
「あのね、五月蝿いよ、ずっと」
「え、と。――え?」
少女がぱちぱちと瞬きを繰り返す度に、涙が新しく流れていく。
それを目で追って顔をしかめ、英理は少女の目線に合わせるために地面に膝をついた。
「だれ……?」
「喚んでたろう、ずっと。誰か、って」
英理の言葉に、少女は一つ頷いた。
胸の前で組まれた、まだ小さな手が微かに震えている。
「だから来てあげたんだよ」
そう続く言葉にきょとんと目を見張り、
「ほんとうに?」
恐る恐ると言った風に聞き返す様を、少し可笑しく思いながら頷き返すと、少女は一瞬でその表情を明るいものへと変えた。
「じゃあ、ずっと、いっしょ?」
「――そうだね。夜魔が最上位に近い階層に有るとは言え、界門が通じてるなら如何にでもなるだろうと思ったんだけど」
「?」
眼前の少年が話す聞きなれない単語の羅列に首をかしげ、疑問符を飛ばす少女に苦笑する。
境界に干渉する類の能力に長けていない者が世界間を移動するには、今居るこの世界へ来るために英理がそうしたように、世界と世界の間に通る道を塞ぐために造られた、『界門』と呼ばれる門を開いて通る必要がある。
しかし、幾重にも重なり合って存在する世界には優劣があり、上位から下位へ下るのは然程困難ではなくとも、下位から上位へ上るのは容易ではない。
往々にして、上下間の道は下る事しか出来ないのだ。
そして、この世界には夜魔の気配など微塵もしない。
双方向に道が通じているのならば、こんな事は有り得ない筈だ。
「この門、一方通行だなぁ」
「???」
遠く何かを懐かしむように目を眇めたのに不安を覚えたのか、少女は刹那の躊躇いの後、英理の右袖を掴んだ。
「どこか、いっちゃう?」
「行かないよ」
一体、何処へ行けと言うのか。
もう、あの世界に帰れはしないのだ。
さして未練も無い世界ではあるが、こうなってみると郷愁に似た感情を感じるような気がした。
「行かないで居てあげるから、存分に僕を楽しませてくれ」
生涯をかけて。
これは君が負うべき義務だろう。
ああ、これは、予想外に面白いかも知れない。
英理は、少女に気付かれないように僅かに口端を上げた。
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